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2022年7月3日日曜日

記憶

「なんで、なんで切ってしまうんだよ」

少年は大声で叫んだ。

周囲の作業員のおじさんたちはチェーンソーで街路樹を切り倒そうとしているところに少年が飛び出してきたことで慌てて彼を制した。


「君、危ないから下がっていなさい」


「下がれるもんか。その樹は、 お爺ちゃんは、まだ生きているんだ!だからお願い、切らないでよ」


叫ぶ少年に対して作業員のおじさんたちは、笑うもの、気の毒そうに見るもの、反応はそれぞれだ。ただ共通しているのは、彼らが少年の言葉の一切を信じていないことだ。


「あはは、何を言っているんだ君は」


「お爺ちゃんは僕にいろいろなことを教えてくれるんだ」


「おじさん方を揶揄うのはそろそろやめにしなさい。よし、仕事を始めるぞ」


「や、やめてーー」


振り下ろしたチェーンソーの刃は、その後、あっさりと樹木を切り倒してしまった。


 *


「う、うう、うううう」


「どうしたの、蓮くん? 」


赤いランドセルには不釣り合いなほど、身長がすらっと高い女の子が、切り株となった樹の下で泣いている少年に声をかけた。


「由紀ちゃん? 」


女の子は、蓮より2つ上のお姉さんだった。この間の行事遠足で、面倒を見てくれたことを気に仲良くなったのだ。


「どうしたの? そんなところで泣いて」


「え、えっとね……僕を励ましてくれるお爺ちゃんと待ち合わせていた樹が切られてしまったの、止めたんだけどね」


泣きながら話を終えた蓮くんに寄り添うように、由紀ちゃんは背中を撫でた。


「蓮くん、残念だったね。でもどうして樹を切られることを止めようとしたの?」


「それはお爺ちゃんがずっと僕を励ましてくれたからだよ」


蓮くんはさらにお爺ちゃんと出会ったことを話し始めた。




「うわああああん」


その日、泣きながら蓮くんは歩いていると急に声をかけられた。


「もう、うるさいなあ。なんだ小僧、ピーピーと泣きおって」


目の前には不意にシワだらけで茶色い衣を纏ったお爺ちゃんが座っていた。

頰はこけ、痩せ細っている。

蓮くんは咄嗟に声をかけられたことをびっくりして驚いた。


「小僧?僕のこと?」


「そのほかに誰がいるというんじゃ?それよりも小僧なんで泣いておるんじゃ?」


「掛け算がよく分からなくてずっと残って勉強していたんだけども、でも全然覚えられなくて……」


「なんじゃ?そんなことで泣いていたのか」


「そ、そんなことはないんじゃない、お爺ちゃん!!僕にとっては大事なことなんだ」


蓮くんは、理解してくれない老人を前にさらに絶望的な表情をする。老人はやれやれというと、蓮くんの頭に手を置いた。


「小僧、お前は良く頑張っておるじゃないか。悩むのも諦めるのも、自由じゃ。ただ一つ今出来ることに精一杯であれ」


蓮君は、老人の真っ直ぐな視線を見て、涙を拭った。


「精一杯に頑張ったって報われるわけないじゃないか! 」


「そうじゃ。報われるかどうかなんてわからん。ただ何かしなければ何も起こりはしない。そうではないか? 」

なおも老人は言った。老人は遠くを見て、蓮くんに語りかけるように話す。


「ワシはこの場所にずっと立っておる。ただ立つだけじゃが、鳥の巣を作る場所を与え、誰かの木陰になり、空気を作っておる。それがワシの正直にやりたいことだからじゃ。だから、小僧、どんなことでも己に正直にやればよいのじゃ。そうすれば何事も良くなっていく。そういうものじゃ」


「そっかあ。算数は嫌いだけど、でも覚えたら良いことがあるような気がする。だから頑張ってみようかな」


「そう素直に思ったならやってみなさい。ワシはあともう少しお前をみているから」


その言葉とともに一陣の風が吹いた。

砂埃が目に入りそうになった蓮くんは一瞬、目を閉じる。

すると、あとには目の前に苔の生えた立派な木と蓮くんだけが取り残されたのだ。




「多分、そのお爺ちゃんは樹の精だったのかもね」


由紀ちゃんは、蓮くんの頭を撫でると、その後に、樹がおじさんたちによって切られた後の切り株に触れた。


「蓮くんは、お爺ちゃんに何を伝えたかったの? 」


なおも半泣きの蓮くんに由紀ちゃんはふわりと尋ねた。


「お爺ちゃんのおかげで、クラスで一番になれたって伝えたくて」


蓮くんはまた涙を浮かべながら、ランドセルの蓋を開いて中からA4の賞状を取り出した。


「これを見せたかったんだ」


そこには、蓮くんの名前と九九の段が全て言えたという表彰状だった。


「おめでとう。蓮くん」


由紀ちゃんはそういうと、その時、また風が吹いた。二人を包むような優しい風だ。


「きっとお爺ちゃんはここにはいないけれど、ずっと蓮くんを見ているよ」


「そうだよね、きっと」


二人は、空を見上げた。二人には、青い空がまるで笑ったように見えたのは気のせいではないのかもしれない。

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