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2022年6月22日水曜日

【第一回】夏目漱石から見る「鬱」は自分探しの旅のはじまり

event_note6月 22, 2022 editBy 調宮知博 forumNo comments


1 夏目漱石とは?

今回は、夏目漱石を紹介していこうと思います。
みなさんは夏目漱石というと「吾輩は猫である」のイメージが強いのかなと思います。
偏屈な作家とその日常を猫目線で見るという一風変わったその作品は明治を代表する文学の一つですね。
甘いものが好きな私は、作中の先生がジャムをスプーンで舐めていると必ず家内に怒られるという話を読んで同じことをよくやりがちなので笑ってしまいました。
他にも「こころ」や「坊っちゃん」など様々な文学作品を遺した偉大な作家である夏目漱石ですが、文豪として活躍する以前には暗い過去がありました。
そんな夏目漱石が残した言葉にこのような言葉があります。


2夏目漱石が遺した言葉


「ああ、ここにおれの進むべき道があった!ようやく掘り当てた!」




3精神が病んだ過去


彼はなぜ、そのような言葉を残したのでしょうか?
漱石は、常に「空虚」な心の内を抱え、ずっと己が何者なのかに悩んでいました。

当時としては有名な学校を卒業し、教師という仕事に就くも、その仕事に対してやる気を持てなかったようです。常に彼の中には今の自分でいいのかという悩みがありました。そんな彼は、英語を研究するために、イギリスへの留学を命じられます。漱石は留学のためイギリスを赴くも、さらにそこで日本人と欧米人のギャップを肌身で感じ、心が病んでしまいます。

留学先で観光をするわけでも、仲間を作るわけでもなくただただ英語文学の研究に没頭して邁進するあまり、彼はついに精神疾患を発症してしまいます。

その後、留学を終えて帰国した彼は以前と同じく教鞭に立つも、精神状態は安定しないことばかり。つい学生への叱責なども増えてしまっていたそうです。そんなある日、ある事件が起こってしまいます。漱石に叱責された学生の一人が入水自殺してしまうのです。
漱石としてはカオスな心のうちをさらに闇へと突き落としてしまうような現状だったと思います。そんな精神状態が最悪な時、正岡子規の弟子である高浜虚子から療養として文学を勧められます。初めて書いた小説が文豪への道を開きます。
そこで生まれたのが処女作、「吾輩は猫である」だそうです。それから彼は文学に没頭して、今でも有名な小説として残る作品を数多く執筆していきました。

漱石は、文学と出会ったことでこう表現しています。

「ああ、ここにおれの進むべき道があった!ようやく掘り当てた!」

漱石は文学を作ることでやっと自分の道というものを見つけたようです。

4夏目漱石の人生が遺したもの


夏目漱石は精神衰弱や胃病に苦しめられて生涯を閉じました。
夏目漱石が抱える「鬱」とはなんだったのか?
それは病気というよりも、「本当の自分とは?」という問いかけを加速させるブレーキ装置だったのかなと考えています。
現在では「効率化」や「計画的」「生産性」が求められていく時代です。
ひたむきにその目標に向かっていく努力は大切ですが、それを強いて自分の生きている目的から離れてしまうのはかえって個人として良くないことなのかもしれません。
人生は短いけれども、長いものです。
だからこそ、自分探しというものをやめてはいけないと感じます。
そこで何に向き合い、何を感じ、何をしたのか。その一つ一つの積み重ねが人生です。大人になろうとも、老人になろうとも真の自分自身を探究し、発見しようと努められる人が素晴らしい人なのではないかなと僕自身は思ってます。

5夏目漱石と言葉


人間にとって表現をするというのは必要なことです。
息抜きには、休息と運動と芸術活動の3つが揃ってこそ自分を回復できるともいいます。
なかなか仕事にするということは難しくても、文章を書く、絵を描く、楽器を演奏する、歌を歌うなどいろいろな芸術の中に自分を見出していくのも大事なことです。
人生にちょっと退屈や行き詰まりを感じたら、今のあなたは、自分らしいあなたではないのかもしれません。
そんな時は漱石のいう「進むべき道」を探すことをしてみてはいかがでしょうか?













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